君たちは永遠にそいつらより若い

技術と音楽と日々のこと。

ロールモデルがなくなること



ふと気付くとロールモデルがなくなっていた。

僕には、とても尊敬している人がいる。その人のことを尊敬していることは、今も昔も何も変わらないのだが、その人のことを追いかけることをずっと前に止めていたことを、つい30分前に友人と電話をしていて、ふと気付かされてしまった。

 

昔の僕は、その人のことを追いかけていて、その人のことをロールモデルとして、道を歩んでいた。その人は、前職の上司で、とにかくいい意味で怪しいデキる人だった。僕は、純粋な専門職らしい専門職のキャリアではなく、どちらかと言えば様々な掛け算によって、自分の価値を生み出しているタイプなので、その奇妙な上司は、専門職らしい専門職の人たちの中で、自分のような人間でもキャリアを築いていけることを証明してくれる唯一のロールモデルだった。

先刻会話をしている中で、昔はあなたのことを目指していたけれど、今は違うのだ、ロールモデルが無くなってしまったのだ、という趣旨の内容を友人から聞かされた。それに対して僕は、実務の中で君は僕と君はこだわる部分が全く違うことがわかってきたから、それは当たり前だと受け答えをしていたが、自分のロールモデルについて答えようとしたときに、自分はかなり前からその上司のことを既にロールモデルとして扱っていないことに気付いてしまった。日々、今のボスと殴り合うためには、目の前の課題に集中し、日頃からあらゆる事象を熟考し行動するしか術がなく、ロールモデルを追いかけている場合ではなかったのだ。

元上司は、外国人の部下を現地で100人従えるとか、そういった経験はしていないし、彼には僕のしていることはできない――もちろん彼が今の僕のポジションなら、彼のやり方で彼の価値を築いただろうが――。では、僕は今のボスをロールモデルにできるのか?否。今の僕のボスも僕とは性質が異なるので、僕はボスのことを参考にはするものの、直接のロールモデルにはできないだろう。そして、僕たちは同じではないから、お互いを尊敬し合い、お互いの足りない部分を補いながら、この地で多くの課題を2人で解決できているのだ。

 

自分の道の不確実性を感じたとき、人はロールモデルを定めることで、足元を固め、前を向こうとする。しかし、流動的な社会の中で、自分の性質を知れば知るほどに、それが誰でも無い自分の道であることに気付いていく。そもそもロールモデルを定めたところで、近くはあれ全く同じ性質を持っている人などいないし、ロールモデルを追いかけている間に世界もものすごいスピードで動いていくので、全く同じ道を歩んでいくことはできない。そして、自分の性質の分析と活用が進むにつれ、ロールモデルはいつかいなくなってしまうのだ。

友人も僕も実際不安は感じておらず、目の前が開けたような気持ちでいる。自分を活かそうと思えば活かそうと思うほどに、僕たちはロールモデルという「型」を失っていく。それは、認知の有無に問わず、誰もが通っている道なのかもしれない。他でもない自分のためだけのスタートラインを引くときに、僕たちはやっとそのジレンマから開放され、自分の頭で学び、自分の足で自らの道を歩めるようになるのだろう。